日本人に足りないもの

日本人に足りないもの、それは「選択肢」だと僕は思う。


選択肢がないからサービス残業をせざるを得ない。選択肢がないからブラック企業でも潰れない。選択肢がないから会社の言いなりになるしかない。


現状、社会のどの層を見ても、有益な選択肢は一つしかないように感じる。高校生は日本の大学を受験するしか道がなく、大学生・院生は就職活動に明け暮れる。運よく就職に至っても、転職は基本的にネガティブな方向にしか進めないという状況だ。35歳を超えると転職そのものも難しいという声も聞こえる。


転職が魅力的な選択肢でない場合、個人は自分の会社にしがみつくしかなくなる。この状態だと、企業は個人に言いたい放題、やりたい放題できる。どんなに無理難題を押し付けても、絶対に辞めない・辞めれないのならば当然とも言える。サービス残業、海外転勤、社内ローテーション、なんでもござれだ。


そもそもなぜ転職できないのだろうか。横並びの年齢基準の人事制度、新卒至上主義、企業が「プロ」よりも「駒」を好むこと、企業が人を解雇できないこと、並べればきりがない。しかも大多数の企業が同条件のため、一種の人材Monopoly状態になっている。全ての企業が新卒至上主義の一点張りを主張し、転職者を受け入れる意思がない場合、一個人にはどうすることも出来ないだろう。


僕が米国企業すべてに似たようなことを言われたらどうするだろうか。恐らく「じゃあイギリスに行きます、さようなら。」と言うと思う。イギリスがダメなら、シンガポールに行くだろう。そういう人が多い場合、企業はあまり無茶を言えなくなる。会社の命運を決めるのはいつの時代も人材だ。ブラフが利くわけだ。


僕はトップダウンで日本が変わることはないと思っている。日本が次の姿へと進化するのなら、それはボトムアップの個人レベルの変化が促すものだと確信している。


日本人が日本企業に「あっそ、じゃあいいよ、もっと条件のいい海外の会社に行くから。」と言えるようになる時、日本の労働環境は初めて次の一歩を踏み出せるようになると思う。国内に選択肢を見出せないのなら、国外にそれを求めるのが当然だと思う。


社会の幸せは個人の幸せの集合体だ。だから、まずは個人が最大限幸せになれる選択肢を作り、選ぶべきだ。


一概に「海外に出る」といっても、さまざまなステージで行動を起こすことが出来る。就職、博士、修士、大学、高校、全て努力次第で掴めるものだ。そして実は、早ければ早いほどハードルは低いと思う。


例えば、先駆者として彼らのような人間がいる。


就職
Elm200氏 http://d.hatena.ne.jp/elm200/
海外ニート氏 http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/

追記: HAL0213氏 http://kaigai-shushoku.blogspot.com/p/blog-page_5485.html

博士
Jisaboke氏 http://twitter.com/jisaboke

大学
僕の友人に数名。


僕自身が与えられる情報は米国大学の応募過程の詳細とアドバイスに限られる。しかし、仮にも米国のトップ校に受かったことのある身としては、日本の優秀な高校生ならば米国の名門大学に応募する素地は十分あると思う。


僕は日本人、特に次に世代の日本の若者は海外へと出て行くべきだと思う。しかし、ひょっとしたら他にも可能性はあるのかもしれない。個人にはそれを深く吟味し、判断して貰いたい。その判断材料を与えるのが既に「外」にいる僕らの「日本人」としての役割だと思う。


微力ながら、個人がの幸せをつかむための手助けをしようと思う。


自分でも偉そうだとは思うが、組織や国のためではなく、自分達のために生きて欲しい。